小説の「異邦人」やエッセイの「シーシュポスの神話」などで注目されたアルベールカミュは、哲学者でもありました。彼の提唱したものの中に「不条理の哲学」と呼ばれる概念があります。以下ではどのような哲学なのかについて解説します。

カミュの考える不条理とは?

カミュの提唱する不条理は「ある行動とそれを超える世界との比較から湧き出してくるもの」としています。特定のものの感覚や印象から生まれ出る感情ではないとしています。つまり人間の中や世界の中にあるものではなく、人間と世界の共存の中で初めて生じる者であると考えられます。不条理によって、人間と世界がつながっているとも彼は言っています。

実存主義の否定

カミュの思想を見て、彼のことを実存主義者と評する向きもあります。しかし彼はむしろ実存主義に対して否定的な態度を取り続けています。それは彼の作品である「シーシュポスの神話」の中でも反映されています。実存主義は不条理から思想はスタートしています。にもかかわらずゴールはその不条理の世界から飛躍しているのです。理性の否定であり、結果的に哲学上の自殺に至らしめていると批判しているほどです。

不条理との向き合い方

カミュの作品を見てみると、私たち人間が不条理に対してどう向かい合うのかについて解説しています。例えば異邦人を見ると、母親の死に対して太陽のせいで人を殺してもおかしくない、だからこそ悲しまなくてもいいのではという心境に至ります。これは不条理な世界の中で、人間も同様に不条理であっても構わない、むしろ進んで実践してしまう状況になります。

不条理性に気づいたら

人間が不条理に気づいて、では次にどのステップに進むのか、それはどうこの心理状態を乗り越えていくかです。この部分は「ペスト」の中で随所に見られます。作品の中で、世界と人間のそれぞれの不条理に分けて考えるというアプローチが提案されます。人間はこの段階に至ると、不条理を二重構造でとられるようになります。その中で自分の生き方や行動の仕方を決めていく姿勢が明確に提示されています。

まとめ

世界は不条理によってつくられているといっても過言ではないです。普通にまじめに生きていても、例えば台風で住宅を飛ばされてしまって途方に暮れることもありますし、ペストのような疫病に感染して、命を落としかねない状況も考えられます。このような状況をいかに受け止めていくか、カミュの哲学にはそのヒントが隠されています。